ども、浦島とも太郎です。
実家のある岐阜に帰って4日になります。
もっと前から岐阜にいるような気がしますが、
まだ4日しか経っていないということに気づいて驚いています。
ブルキナを離れてまだ11日しか経っていないだなんて信じられないくらい、
あちらで過ごした日々がすごく遠くに感じます。
もう少し引きずると予想していたので、
あっけないものだなあと思ったりします。
でもやっぱり、視点はまだ「ブルキナ」です。
たとえば、
冷蔵庫に卵(しかも大きいヨード卵)が入ってるだけで興奮したり
(鶏やホロホロ鳥は乾季に卵を産まないため、
ブルキナでは乾季に入った9月末から新鮮な卵が手に入らず、
雨季にちょうど入る頃に帰国したので、9ヶ月の間、
任地ではほとんど卵が食べられなかったのです・・・)、
居酒屋で何十種類ものお酒のメニューを見るだけで感動したり
(ブルキナではビールか地酒くらいしかなかった)、
ファミレスの店員さんの丁寧な対応に思わず拍手を送りたくなったり
(向こうの対応はそっけないものだった)
・・・etc
あと体感温度もまだブルキナモードのようで、
家族が「暑い、暑い!」と言っているときに、暑さをまったく感じず。
むしろ寒いくらいだったので、
「はぁ〜?こんな涼しいのに〜?全然暑くないわ」と反発すると、
弟に「アフリカ帰りってこと強調したくて仕方ないんやろ」と
嫌味を言われました(苦笑)
↑居酒屋はたまりません
* * *
2年ぶりの日本は、景気が後退していたり、
地元の行き付けの居酒屋がつぶれていたりと状況は変わっていましたが
(景気と地元の居酒屋を同列で語るなって?)、
まあ、相変わらずだなと思いました。
ただ、私のまわりは、歩けもしなかった当時1歳弱の甥が
今ではよくしゃべるようになっていたり、
姉や友達が結婚していたり、「親」になっていたり、
と、けっこう変わっていました。
友達の近況を知るたびに、2年の重みを感じる毎日です。
↑岐阜の街は駅前が整備されたり、多くのデパートが撤退したりしててだいぶ様相が変わっていた。これは駅前の「岐阜シティタワー43」の43階から。我が家は奥の山の向こう側にあります
* * *
あっという間に遠い存在になってしまった、ブルキナでの日々。
でもブルキナで出会った多くの人の顔や、
彼らと笑い合ったいくつもの場面を思い浮かべるたびに
懐かしさと愛おしさがこみあげてきます。
あぁー みんなどうしてるかなぁー
今、日本は金曜日の23時。
ということはブルキナは14時かー
今頃、同僚はまだお昼寝中かなー
ジュールは近所のサビラやアレックスと駆け回ってるかなー
近所のマダムは友達のところでおしゃべりかなー
・・・
彼らは遠いところにいます。
私のいる日本とはずいぶん状況のちがうところにいます。
けれど、今日も彼らはあの街で変わらぬ生活を送っていて、
もしかしたらふっと、地球の裏側にいる私のことを想ってくれているかもしれない。
私が今、そうしているように。
そう考えると、「地球」が急に小さく感じてきます。
通信網の発達によってではなく、こうした小さな心のつながりによって・・・。
2年間、大好きな街で、大好きな人たちに囲まれて過ごした時間は、
私のかけがえのない宝物です。
これからもずっと大切にしていきたいし、
ブルキナで得たものを、日本にいるみなさんともっと共有していきたいと思っています。
会ったらいつまでもしつこくブルキナの話をすると思いますが
邪険にせずに聞いてくださいね(笑)
このような夢のような2年間を過ごし、無事に帰ってこれたのは、
さまざまな形で支えてくださった皆さんのおかげだと思っています。
心から、ありがとうございました!
そしてこれからもどうぞ、よろしくお願いします。
≪ちょっと、写真≫
↑授業や苗木生産で2年間一緒だったD小学校の子どもたちや先生と
↑仲の良かった子どもたちとお母さんたちと。私にとって「家族」のような存在だった
↑ジョムガ村での送別会では踊って食べて楽しい最後のひとときを過ごせた
↑同僚や仕事関係でお世話になった人たち60人を飲み屋に招待し、飲んで踊った
↑「パパ」と慕う元ディレクターに帰国直前にワガで会え、家に招待してもらった
↑一番別れがつらかったジュール。ドリを発つ日の朝もいっぱい遊んだ。バス停で別れるとき、状況を察したのか、寂しそうな顔をしていた。ああ、ジュールに会いたい・・・